現在の位置:ホーム  > 東日本大震災医療救護班に参加して

東日本大震災への救護班に参加して

概要 日程 派遣先 人数(射水市民病院から)
富山県第3次医療救護班 3月25日(金)~30日(水) 岩手県釜石市 全12名中医師1名、看護師2名、事務2名
富山県医師会JMAT第3次隊 3月31日(木)~4月5日(火) 福島県いわき市 全5名中看護師1名
富山県からの看護師派遣要請 4月18日(月)~23日(土) 福島県田村市 1チーム2名中看護師1名
  被災された皆様へ心からお見舞い申し上げます。亡くなられた方々へ心からお悔やみ申し上げますとともに、被災された地域の一日も早い復興をお祈りしております。

東日本大震災 富山県医療救護班(第3次派遣)に参加して

循環器科 部長 上野博志
 私たち第3次救護班は、射水市民病院・厚生連高岡病院の合同チームでした(当院職員は医師 上野博志、看護師 島田 かほる、盛田香織、事務 中野剛、堀川広起)。地震発生後2週間が経過した3月25日~30日の間、私たちは岩手県釜石市での活動を任されました。毎朝8時に宿泊所を出発、災害対策本部にて現地責任者と当日の予定を確認し、避難所に向かいました。
 私たちの担当は大小あわせて6カ所の避難所と、特別養護老人ホーム1カ所でした。避難所となっている学校体育館や公民館には、30~200人ほどの方が生活していました。そこに、簡易診察室を作り、糖尿病・高血圧などの薬が切れた方や、津波ですべて流され寒さと不衛生な生活環境で体調をこわした方の治療、また釜石市は大量のスギ花粉が飛散している地域であったため、たくさんの花粉症患者さんの治療も行いました。帰り際に"富山のお医者さんには助けていただきました。ありがとう"というお言葉をいただきました。普段、循環器専門医師として、設備が整った射水市民病院で行っている医療とは全く違ったわけですが、医師としての原点を実感させていただきました。

診療所の診療風景

富山県医師会JMAT第3次隊に参加して

看護科 副師長 飴谷 敬子
 東日本大震災の医療支援のため、日本医師会災害医療チーム(JMAT)に参加し、3月31日~4月5日福島県いわき市での支援活動を行いました。いわき市の北側は第一原発より30km圏内に位置します。海岸線沿いの街の状況は未だ見たことのない光景でした。港では漁船が陸に打ち上げられ、家には車が突っ込んだまま、道路は瓦礫の山となっていました。
 毎日夕方から翌日の避難所の巡回診療のための合同ミーティングを行いました。避難所での主な仕事は巡回診療の補助・健康相談でした。避難所生活からくるストレスや不眠、食事の影響で高血圧・糖尿病などの慢性疾患の方が多くいました。
 今回準備した薬の中から、症状にあったものを処方しましたが、これはあくまで一時的な治療でした。今後は地元の病院に引継ぎ、一日も早く安定した治療が受けられるようになればと願いながら、第5陣チームに引継ぎました。

高い防波堤を越えて

福島県田村市へ救護支援に参加して

看護科 主任 本江 勝美
 富山県第二班の看護師として4月18日~23日迄、福島県田村市の春山小学校避難所で被災者の健康相談・健康チェック・避難所の衛生対策等の活動をしました。この避難所は福島第一原発より約32km地点にあり、利用者は屋内退避指示を受けた住民約200名です。私たちが到着した頃には既に衛生対策がとられており、健康支援から生活支援に移行する時期でした。
 震災から40日余が経過し、避難者の皆さんは疲れや苛立ち、さらには今後の事についての不安を抱えていました。周囲で支え合いながら、「みんな同じだから、辛くても辛いって言えない」と涙ながらに発せられた言葉から、つらい感情を抑制して必死に現実に耐えている姿が伝わってきました。現地の皆さんといっしょに支援活動に参加でき、貴重な経験をさせていただきました。

現在の位置:ホーム  > 東日本大震災医療救護班に参加して